失地回復

1.行き先イケメン ハイビスカス

 中学が荒れていた。耐えかねた。早退しがちになった。横になっていると母に怒られた。机に伏せても怒られた。勘弁してよ、と頻々に嘆かれた。小学生のころに私の指を壁際からはがして引きずって、あるいはトイレのドアをガチャガチャと叩いて見つけ出して私を学校に連れていっていた彼女にとって、「あのときと全く変わってない!」という怒りはまっとうだった。

 あるとき、「あなたがこんなんだから私の生理がおかしくなったじゃない」とひどく怒られた。「婦人科で足を広げて本当に恥ずかしかった」「ストレスでだって、ストレス!もう!」。こまった。幼いころ何気なく玄関の棚をふいに開けようとした。すると聞いたことのない発声でとても叫びながら、ものすごい力で彼女はそれを閉めた(生理用品をそこにしまっていた)。そんなこの人が、こうキレた。すごくよくない。いちストレッサーの責任。彼女は「お母さんの言うことがなんでも合ってるんだから」「ほらお母さんが合ってるでしょう?」と四半世紀やめられない。この人のために”勘弁”をする業。釈迦のてのひらにしては小さい。子離れさせるという親離れを、し損ねた。

 

 2.草食系とかマジ勘弁

 なんでそんなすごいのかわからないものをなんだか信じる。ときには、みんなでそうする。それはとても危ないことだと思った。

 威張りとからかい以外で話せない「上司」になってしまった人は、自分が客体という発想がなく、ひと様をジャッジメントする主体としか思っていない。自分が許してもらうかどうかのシチュエーションでも、なぜか自分が許してあげる側みたいになって会話にならない。「何も根に持ってないから安心してよ!」と急に。徹底的に自己省察しなければのしてくれなさ。たとえ寿命が無限でも原理的にずっと変わらない。自分が良くないことをして相手がまだ怒っている、人様から嫌われているという発想がない。からかいの空間では、どれだけ真剣に意思を伝えても、スポンジに吸い込まれるようにして私の意思がどこかへ消えてしまって、語っても語っても相手に伝わらない(三木、2023)。非対称性をラッキーだと捉えて是正しない。

 社会人なので相手を気遣って関わりましょうよお互いに。「俺言っちゃ悪いけど気を使ってるんだよ」とか言うけど、当たり前ですよ。自分が「上」だからとかじゃなくて、大人なんだからお互いに気は使うもの。上にならないように使うもの。さんざんからかっていた、私以上に若い女性社員が異動したとき、客前ですごい大声で他の従業員に「いや~イジりがいのあるやつがいなくなっちゃってさみしいっすね~」とか言っている場合じゃない。彼女をビンタしたいだの言う前に、適当な若者をからかったり威張ったりするという方法でしか「仲良く」できない話し方やめればいいのに。

 先週、父の誕生日だった。還暦。彼は数年前、助手席の私に「お前は頭がおかしい」「殴るぞ」「降りろ」と髪をつかんで突然ドアを開けた。かんしゃくが収まって家まで自動車で帰れた。家に帰ると「お前帰れ」と怒鳴るので、殺される危険があると思って謝ってみた。すると彼は、わんわん泣いた。「俺には味方がいないんだ」「家族が誰も優しくしてくれない」「お父さんのお父さんは60歳で死んだんだぞ、もう怖いの」といったことをわんわん叫び続けた。

 泣くか暴れるか以外で話せるようになってから死ねれば嬉しいね。からかうか威張るか以外で気を使えるようになってから死ねればいいね。私もがんばりたいな。

 

【引用・参考】

三木那由他(2023). 言葉の風景、哲学のレンズ 講談社