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1.忘れない

 嫌いなものやキモさしか感じないものや何がいいのか分からないもの。あるいは、それにハマっている人の様子にそれらしか感じられないもの。また、嫌いだのキモいだの言ってるくせにハマってる人がいて、その様子に嫌悪感やキモさを感じて耐えられないもの。それらに関心がある。

 その嫌悪感やキモさにコンプレックス(劣等感という意味ではなく)が内在してる。だから、その対象を(要するにコンプレックス)を延々と処理して、処理し終わりたい。無理してそれらに関心を持ったり、ハマってみたりして、その人がどういうつもりなのか肉迫しないと耐えられない。自分なりの腹落ちまで、どうでもいいと思えない。また、自分自身嫌いだのキモいだの言ってるくせにハマり続けているものには、飽きたくなる。たとえば、ずっとそう言ってるくせにずっと聴いてるバンドのライブに行って、飽きに行きたい。あるいは、飽きるために、聴きまくりたい。

 嫌いなものをどんどんやって、生理的嫌悪感を処理したい。また、嫌いだけど惹かれてるものに飽きたい。それに、悪口を思い浮かび終わりたい。いろんなことにポジティブに挑戦したいというより、ネチネチと肉迫することで、嫌悪感を抱え終えたい。

 

2.捻出してる

 よく、「暇だから悩むんだよ」「体力が余ってるから悩むんだよ」とか言う。けど、病むような人たちは忙しいなか悩むし、心身の体力がなくなるまで悩んで、心身の体力がなくなってからでもえんえんと悩むから、病む。そして、生活ができなくなる。あるいは、無理して生活してる。それで少し体力が及第点くらいまで来たら、また延々と悩み始める。そんな運用で元気な時があるわけがない。0とマイナスを往復して生きてるんだから。

 そして、そんな風な生活ができかねてきたら、「もう考えるのをやめよ〜」と急にケロッとする。あるいは、躁的な別人格をこしらえてエキセントリックな冗談や早口な知識で自分を守り続ける。よりよい自分であるために強迫的に悩んでいたはずが、どんどん不誠実で辻褄が合わなくて不気味な生き物になっていく。誰これ。

 

3.人のための中庸

 よりよい自分になるためにそんなに思いつめてるくせに(あるいは、他者から好かれていない不安/見捨てられる不安があるという利己的な衝動でえんえん悩んで)、躁的防衛したり頑なに憂うつになったりする。その結果、放ったらかしの自己肯定感の代わりに、多くの人から承認されたいという欲が肥大して、歪んだ自己愛ばかりがその人を構成していく。自分が相手からカテゴリー化して好かれていると思い込んで、自分をカテゴリー化していく。

 えんえん悩む人は、その悩みのクリアの仕方(躁状態の別人になるか「や〜めた」という投げ出しでサバイブする)によって、他者と自分にすごく不誠実になる。本人は困っているから仕方がないのだけれど、ときに不誠実で人を混乱させるとは思う。誠実に内省的なようで人一倍利己的。

 生理的にすごく気色悪くていても経ってもいられないもの(嫌いなものやモヤモヤ)をカテゴリー化して済ませず、迅速に考え終わりたい。でも、結局誰かに対して不誠実になるような仕方でえんえん落ち込んでるだけという生き方は唾棄したい。