2人の動悸と呼吸をスローに

 1.目を閉じないで

 会話で相手がわあわあなっているときは、自分に原因がある。因果応報は決して他人に向ける言葉ではない。自分にそう思う(それに、原因と非は似ているようで全然違うもの)。

 たとえばすごく卑近な例では、レジでなんとなく会話にならないとき。どんどん会話がすれ違う。相手はハイテンションにいろんなことを言ってくれる。私が何か言おうとすると遮ってしまうほど、一生懸命話している。ここで私もわあわあすると、会話が「わあわあわあわあ」して、加速度的に会話がクラッシュしてしまう。「少し待ってください」「まだ話している途中です」といったことを言って、2人の動悸と呼吸をゆっくりにしないといけない。意識的な呼吸は、後悔する言葉を未然に防いで、取り返しのつかない決定的瞬間を迎える前に、あなたを踏みとどまらせてくれる(ハン、2017)。

 とはいえ、怒りは相手のものであり、相手の怒りを自分のせいだと受け取ったり「怒ることはないだろう」と思って仕返ししたくなったりして他人の怒りを自分に伝染させては、意味のない攻防や消耗的なやりとりが始まることになる(平木、2021)。相手のせいとかではない。相性のせいでもない。ただ静かに協力をしていく。

 話を聴くとき相手は、非難や間違った思い込みを口にするかもしれないが、翻弄されて憤ってしまえば、深く耳を傾けるチャンスを失ってしまう(ハン、2017)。

 

 2.リズムよりも

 電話して電波が悪くて、ときどき聞こえないまま、聞き返しつつ話す。あるいは、いったん電話を切りつつ、また掛けてまた話す。リズムに乗って話すのは、物理的にできなくなる。

 食事中に話してて、ふいにトイレに行く。どんな話を相手がしてても、どんなに盛り上がってる最中でも、トイレには行きたくなる。関係ない。話が中断される。言葉がブチッと切れる。会話が宙に浮く。たまたまそのときの最後の言葉や発話やテンションが、ふわふわと行き場を失う。その後に言おうと思っていたこともいったん打ち止めになる。つんのめる。リズムに乗って話してたのに。そんな瞬間こそ美しい。

 

3.出てきてなかったものが幸運にも出てくる

 こういうランダムな中断や、あるいは人為的な「理解も解釈も共感もせず、大した意味をもっていない部分に注目する」というなるべくランダムな返事をされたとき、何か重要な言葉が出てくるかもしれない。意味を持たせたかったものが無意味化される、あるいは、無意味なものが意味ありげになる。発する文字数が少なく、なんの解釈もしてくれない聞き手。「ほえー」「んんん」ばかり。あるいは、どうでもいいところをおうむ返しする。

 理解も共感も解釈も反論もされずじまいになる。そうしてポツンとしたとき、何気なく言っていたことに向き合うことになる。とってもどうでもいいことやずっとなんだか分からないものが、その人のなかで別の意味をもつ可能性が出てくる。それで、思いもよらなかった新しいことを次に言うハメになる。

 そんなリズムの妨げのつまらなさが教えてくれること。元気とかより、少しだけ明るく素直にいたいということ。静かになってじっと聴き、体に任せて語り直すこと。

 

<引用・参考>

木典子(2021). 三訂版アサーション・トレーニングーさわやかな<自己表現>のためにー 日精研

片岡一竹(2023). ゼロから始めるジャック・ラカンー疾風怒濤精神分析入門ー ちくま文庫

ティク・ナット・ハン(2017)・シスター・チャイ・ニェム/西田佳奈子(訳). 愛するーティク・ナット・ハンの本物の愛を育むレッスンー 河出書房新社