イキリ依存のアンラーン

 中年男性社員が「ピアスダサいね!」とすれ違いざまに大声で言い、中指を立ててくる。別の階へ行けば、別の中年男性社員が「耳痛いでしょ?次ミスしたらピアスのところ叩いていい?」と大声で言ってくる。それから2人とも、「え、病院で開けたの笑、俺が若い時は安全ピンで開けたんだぞ」と延々そのエピソードを語る。男性性という神に支配されてるように同じ文言と同じオレ伝説を言う。異口同音以上に、同じ口にさえ見える。

 中学時代、休み時間に肩パンやチャランポの殴り合い・蹴り合いを誘われたり、「お前は裏ボタンを”喧嘩上等”にしないの?」と不審がられたり、Yシャツのボタンを開けていないという理由で「障害者」と呼ばれたりした。しかし、彼ら上司は、そのまま30年経ているのだ。2人の口癖は、「俺はいいけどみんなが嫌うぞ、いいのか」。しかもそれを、全く別の場所で、全くもって同じ文言で言う。「私らしさに向かって生きる」という発想を待たないまま30年経っていることを二重で示す。人の目を気にして、人から嫌われないように、懸命に人に威張って生きている。見ていて切ない。この子らの神は「男性省」(グレイソン・ペリー、2019)なのだ。それに操られたまま、何やら音を発したり疲れたりするしか許されていない。何があっても敬虔な信者でいる以外彼らにはあり得なくて。

 そして、そのうち一人は、レジ打ちで返品操作がうまくいかず「あー」とうめき始め、大きい音で舌打ちをし、お客様を怯えさせる。そんなイキリの交換で空間が構築されてく。カラオケで中年男性たちが暴れるため区内のカラオケは社員全員出入り禁止になり、万引き犯に殴りかかった自慢を延々話し、飲み会で喧嘩して警察に連行される(その話をうやむやし、その対応を非難すると笑う)。

 オレ用の非現実を一生漂い、夢見心地で人をバカにすることだけをライフワークにして、白骨化していく。イキリ依存への甘い囁きはすぐそばに。13歳のまま白骨化する恐ろしい結末を呼ぶ信仰は、私の隣に、私の中に。今ここにある。急いで、学び落とさないといけない。

 

【引用・参考】

グレイソン・ペリー(2019). 男らしさの終焉 フィルムアート社