気の抜けた面持ち〜元気でも元気じゃなくても〜

1.ACTという心理療法

 よく、「暇だから悩むんだよ」「体力が余ってるから悩むんだよ」って言う。けど、忙しいなか悩むことだって全然ある。だいいち、心身の体力がなくなるまで悩んで、心身の体力がなくなってからでもえんえんと悩むからこそ、相当に病んだりする。そして生活ができなくなる。あるいは無理して生活する。それで体力が及第点まで来たら、またえんえんと悩み始める。そんな0とマイナスを往復する運用で、元気なときがあるわけがない。

 ある日、「先に服を脱いじゃえばパッとお風呂行ける」というライフハックを聞いたけど、裸のまま3時間が経った。自分の疲れや感情を認めたり、相手のそれらを認めたりすることの大切さを思う。

 ACT(アクセプタンス &コミットメント・セラピー)という認知行動療法がある。これは「マインドフルで、かつ価値に導かれたアクション」をできるようになることを目的にした心理療法だ。この療法の考え方は、その人がどんな行動をするかということ自体は問題視されない。たとえば予定を断ったとしても、あるいは会いに行ったとしても、それがその人の価値にコミットされた行為(価値に導かれた/動機づけられた効果的な行動:ハリス、2024)かどうかが大事。つまり、価値に向かっているかどうかという有効性(workability)を重視するのだ。

 ACTでは、「好ましくない不快な私的経験(思考、感情、記憶、イメージ、情動、衝動、欲求、願望、感覚など他の人にはわからない体験)の回避や排除に時間・エネルギーを費やすほど、長期的には心理的に苦しむ可能性が高まる」と考える(ハリス、2024)。そして、私的体験を受け止めて(アクセプタンスして)、価値に導かれたアクションを起こし、なりたい自分になるように振る舞うことを重視する。

 だから、エーシーティーではなくアクト(act)と読む。

 

2.元気ないときは元気なさげ〜いつかは弱い人たちの支えに〜

 体調不良を病理化せずに厳罰化/嘲笑する価値観が社会にあって、それを内面化した自分の中にもある。そんな価値観がかえってみんなを病弱にしてく。

 職場で頭痛持ちか訊かれた。答えれば、「みんな一緒だよ俺も頭痛いんだよ」。数週間後の彼は、「俺もう頭痛いんだよね、何もできないからどっか行っててくんない?」。ボスの頭痛は私のそれと異なる。人を動かす頭痛。数日後に私は早退する。指示通り謝ってから帰る。翌日治らないまま行く。「謝れよ」と言われる。改めて謝って周る。

 しばらくして、発熱者が毎日発生した。合間の時間、誰かに向かって「〇〇さんのせいじゃねえかよ」と言い合う声。彼が復帰する。「お前のせいでみんな熱になったんだけどどうしてくれる」と怒鳴りるのが売り場まで聞こえる。彼は否定する。でも言われ続ける。謝ってオチになって、みんな笑って休憩終わった。

 元気ないとき、その元気のなさにいっそう元気をなくすときがある。あるいは、不安なとき、不安に思っているという自分に不安になるときがある。落ち込んでる自分に落ち込んでしまう。「憂うつになって疲れて休んでいる自分」に憂うつになって、横になってるのにいっそう疲れる。そして、そのことにも悩む。縦(メタ)に延々と疲れて私を失って、鼓舞だけ残る。最後には鼓舞にも疲れ果てて悲しい結末になる。溺れているときにバシャバシャして、もっと溺れたり沈んだりするみたいに。沼にハマっているときに慌ててバタバタして、もっと抜け出せなくなるみたいに。

 元気ないなら元気なくいないと、虚勢でできた変な動きが人ーそして自分ーを傷つける。病気じゃないなら休んではいけないという感覚が共有されていること自体が不自由であり、誰でも休みたいときはあるし、休みたいときには休めた方がいい(森山、2023)。疲れや不調や不安には、みんなで観念して身を預けること。そのうえで今の自分にとって価値のあることに関わっていく。身を預けて初めて、溺れてた体が泳いだり、埋まってた足で歩けたりする。これを、アクセプタンス(オープンになってスペースを作り、私的体験を受け入れること:ハリス、2024)という。このアクセプタンスは、私的体験を積極的に受け入れることであって、状況を受動的に受け入れることではない(ハリス、2024)。つまり無理することでも諦めることでもないし、根性論でもない。私的体験やそれを体験してしまう自分を回避・排除するより受け入れて、価値に基づいて過ごすこと。不安感や憂うつや慢性痛などを受け止めて、抱えつつ価値に従うということ。

 こうして、自分や相手のアンビバレントな感情を知的に割り切ろうとするのではなく、矛盾する2つの感情に気づいたり、気持ちの流れ・変化についていったりする(平木、2021)ことで、弱さを抱えたり休んだりしつつ自分の大事なものへ向かえる。それが、誰かのためになる。そして、自分のためになる。

 自分に対する弱さ嫌悪(ウィークネス・フォビア)を治すこと。弱さ嫌悪な自分もアクセプタンスしつつ。そして、虚勢と露悪を離れて自分なりに素敵であろうとすること。虚勢を張りがちでつい露悪的になる自分もアクセプタンスしつつ。

 社会問題は、それぞれのキャリア(生成史)がありつつ、一定のパターンを有する(森田、2010)。すなわち、社会のなかの誰かが「困った状態」だと申し立ててさまざまな立場の人がやりとりをすることで、社会的に構築されてく(森田、2010)。そうして問題が問題視される。だから瞬間ごとに問題視して、冷笑から現実へと醒めてかないといけない。受け止められないということも含めて受け止めて、自分の価値に向かう。そんなアクセプタンスしてコミットメントするあり方が、不自然さへとズレた人を、自然体に戻す。

 

<引用・参考>

木典子(2021). 三訂版アサーション・トレーニングーさわやかな<自己表現>のためにー 日精研

三橋順子(2023). これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門 辰巳出版

森田洋司(2010). いじめとは何か 中公新書 

森山至貴(2023). 10代から知っておきたい女性を閉じこめる「ずるい言葉」WAVE出版

ラス・ハリス(2024)・武藤崇・嶋大樹・坂野朝子(監訳)・武藤崇・嶋大樹・川島寛子(訳) よくわかるACTー明日から使えるACT入門ー<改訂第2版> 星和書店

富永京子(2019). みんなの「わがまま」入門 左右社