うるう秒☆シャイネス

 人格という下着が汚れていたらどんなファッションをしていてもダサいし、かといって部屋で辞書と風邪ばかり引いていても仕方ない。私は基本的に、一方を批判してもう一方も嫌がって、そうして自分を消極的定義でアイデンティファイする。特定の個人を仮想敵にして「お上品も下品も大嫌いだから私は第三極であろう」と常に自分の在り方を前もって掲げてきた。でも、より積極的に清濁併せ呑む必要がある。たとえば、認知行動療法のゴールは非機能的認知を脱して偏りがなくなることだし、禅のスタンスも偏らないこと・とらわれないこと(それらに対して意固地になるという偏り・とらわれもなく)。

 うるう秒フィーバーが8年前にあった。なんだか珍しいからという理由だけでそれはすごいから、みんなで盛り上がりにいく。何かをなんだかわからないまま興奮気味にみんなで祭る。どうしてそんなに興奮できるのだろう。今よりも厨二病だった私は、そう思ってた。

youtu.be

 曽我部恵一にハマってたから、「東京でCity Country Cityに行くんだ」と意気込んでた。すごい客数だった。並んだ。多分、「曽我部恵一の店!」という以上にシンプルに人気がある。私はレコードを一枚一枚神妙な面持ちでチェックしていた。店を発とうとしたとき、ある2人客がレコードチェックをしてた。1人がレコードを半分持ち上げてレンズを見る。もう1人がそれを取り、レコードを持ち上げ終わったので棚に戻す。そして、「よし」という感じで退店をする。なんてカッコイイんだと感じた。 

 あの客たちは、知識に基づいて大量のものを文脈化して卓越化競争に勤しむマッチョなサブカル男子の私と違った。渋谷系にはないORANGE RANGEのパクリのように、そしてそれ以上に洒脱。どこかいちいち渋く腕組んで偉そうに平面の物質を立体化するジャズ爺さんやYMO爺さんの面持ちを讃えてた私に対して、なんかイケてた。

 いろんなものをいっぱいオープンに楽しもうって思う。