写生、蒸気、タッチ

 「テート美術館展" ターナー印象派から現代へ" 」で、ジュリアン・オピーの「雨、足跡、サイレン」「トラック、鳥、風」「声、足跡、電話」がすごくよかった。初めて知ったと思ったけど、ブラーのベストアルバムのアートワークを担当してた。かつて延々と眺めていたジャケット。ツルツルとしてて、見ても何も感じないところがホントにすさまじい。アンビエントのような手触りで、それでいてポップ。デフォルメしてるのに、その恣意性より無味乾燥さを感じさせる。

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 展示されていた3作品も、表現手法こそ違えど同様の美しさを湛えてた。どことなくマットな色調でバーチャル空間のようにも見えつつ、確実にリアリティがある。平面的なのに郷愁さえ抱く。撮影したものを加工してこのようなニュアンスの光景を映す。

 このような表現は、ともするとミーム「リミナル・スペース」のような不穏さを表象しうる。リミナル・スペースの不気味さは、現実からちょうど不安な塩梅で乖離している光景だからだろう。でもこれらの作品は、いい塩梅でリアリティを保持してる。だから、不気味でもなく、かつウェットでもない。

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 「雨、足跡、サイレン」「トラック、鳥、風」「声、足跡、電話」はいずれも、その点で自身の人物画表現と軌を一にしている。生身の人間や実際の人間といったリアルな対象を映じつて、それをマットにする。でも、無機質でなんだか怖いものにならない。写実的な存在そのものである他者を単純化するときに、何をどう捨象するか。コミックやゲームの表象にも近いようなデフォルメでありながら、そのモチーフが空洞に見えない。

 シンプルに何かを捉えて表現すると、往々にして、その対象の中身が無化されてしまう。臓器の存在が感じられないようなキャラクター、柱や壁の中身の存在が感じられないような建物。中身があるというリアリティと、ウェットでない質感という洒脱さ。これらの両立された表現は、とても綺麗。