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 高校のとき、私はYMOとその周辺にかぶれていた。彼らのCDを買いまくった。インタビューや書籍を読みまくった。動画や見まくって、ラジオを聴きまくった。本を読みまくった。思春期的なワナビーだった私は、細野晴臣の影響で仏教に関心を持ち、高橋幸宏の影響でファッションに関心を持ち、坂本龍一の影響で学問に関心を持った。そんな気がする。その上で3人の雰囲気やスタンスが価値基準になった。YMOに私淑してた。自分にとって宗教、あるいは「父」だった。高橋幸宏が死んだときは、初めて誰かの死で泣いた。

 特に細野晴臣は、インタビュー本が複数冊あった。全て何回も読んだ。「街中にBGMがありすぎる。あまつさえビーチにさえある。」「インターネット」「なるべく窓を開ける」「盛り上がってないと安心する」「親の因果を超えていけ」「声量が大きい人はまず危険」「レスイズモア」「エクスフォーメーション」「ビョーキ」「黙って座ってじっと聴け」「キッチュ」「中庸」「サムシングエルス」「袋小路」「ファミリーレストランは最高」。他にもたくさんのものの見方をすごく影響された。あまつさえ、「あまつさえ」という言葉さえ彼の本で知った。

 本のなかでたしかこんなふうなことを語ってた。「ぼくは調子が悪くなると何ももたず寺に籠るんだ。そうすると、自分の中のいろいろな想念が出尽くして、最後に本当の自分の何かが会え哀れ出てくる」と(この、「〜と」という口ぶりも、彼の影響下にある…)。この発想を思春期に内在化した私は、今でもこのようなふるまいが血肉化している。何か袋小路に入ると、とにかく籠る。テレビやインターネットを断ち、髪とひげを伸ばし、少しでも多くのものをやめようとし、自分の心のなかのものを延々と出し切る。そうしていくと最後に手がかりが出てくる。だからそのときを待つ。という方法をとるのが自分のドグマになっている(書いてて思ったけど、「ドグマ」という言葉も彼の本で知った…)。

 そんな私は、そのときまで、「寺ごもり」をしてみようと思う。「その日は、みんなでネ」。