プラチナセッションマジ驚愕

 1.パピエ・コレ

 あるときホテルで、TVを観ようと思った。綺麗ではあるけど古いホテルで、設備のディティールがレトロだったし、電気やTVのリモコンの操作感が悪かった。何回チャンネルを変えようとしても、何度もEテレが映る。がんサバイバーの方々ががんに関する研究やアウトリーチをやるといったような趣のドキュメンタリーだった。他の番組は何がやっているのかと、リトライしてリモコンのボタンを押す。突然、ポルノが爆音で映る。何度ザッピングしても、ヒューマンドキュメンタリーとアグレッシブなポルノが、交互に映る。なんだか嫌な気持ちがした「セックスあるいはポルノグラフィは罪悪だ」という観念を抱えてるので、そんな映像と真面目なドキュメンタリーとが不如意に入れ替わることに目が回るような感覚になった。

 高校のときに髪を切ってくれると言ってくれた同級生の部屋に行った。彼女は、Eテレの子供番組を観るのが好きだと言ってそのチャンネルをつけていた。彼女は私の服を脱がしていろいろなことをした。TVではずっと、うたのおにいさんと子供たちが「かぞえてんぐ」という歌を元気に歌ってダンスをしていた。

 

2.サーカス

 俗なるものが聖なるものを畏れるのが宗教であると考えられるけれど、罪悪の象徴であると思えてしまうセックスとイノセントなものが対比されて、私は寄る辺のない感覚になった。

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 いつかのクリスマスのラブホテルのフロント。サンタ帽を被った2人が英語でチェックインし、エレベーターへ向かってった。聖と俗、そしてかわいいサンタ帽とを、クールに両立する。なんだろうと思った。その少し前、ジャズにハマってた。立って踊るようなビート感でも、じっと座って眠くなるようなノンビートでもない。スウィングという中庸に惹かれた。俗と聖が拮抗して、破綻していない。気取りとイノセンスの両立に気圧される。

 ジャズと題された、マティスの切り絵シリーズを以前観た。①即興の暗喩としてシリーズ名を「ジャズ」とネーミングするベタさ、②個々の作品は内容をタイトルにしているのにシリーズ名はメソッドに由来しているところ、③コラージュという方法に身体的制約以外の必然性を感じられないところ、が個人的に合わなかった。でも、この3点に集約される、しっちゃかめっちゃかでキッチュなところが、良し悪しとは別の軸で、ダイナミックなのだと思った。

 自分ではわからないものこそ良くも悪くも意味があって、非言語的に清濁合わせのんでモヤモヤしないといけないときがある。