【感想など】庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五

①大合唱

 自分が中学生だったときに、「まさとさんは声が高いから1人だけソプラノね」って言われてなんか嬉しかったのをふいに思い出した。

 自分自身が生徒・学生のときには同じ学校やヨソの生徒・学生が同輩ないしライバル的な目で見えてた。学生生活を終えてからは(着々とその人たちより老いてからは)、少し嫉妬と懐かしさが混ざった目線になって、すぐにただ懐かしくて可愛らしいような目で見るようになった。うら若い人たちを小説で描くときって、あるいは教育実習生として接するときって、どんな感覚なんだろうって思う。

 最近、人に「元気でも元気じゃなくても、いつもの話し方でもあるいはずっと黙ってても、この人がいるってことが嬉しいだに」って思う。マインドフルネスの本を読みすぎたのかもしれないけん、ただBeingしてくれればそれだけでめっちゃいい。

 

②波の五分

 懐かしさってなんだろうって思った。人には、「思い出せないけど覚えてないこと」がいっぱいある。初めてRememberという言葉を速読英単語で知ったとき、「覚えている」「思い出す」という和訳が併記されてた。じゃけん実際には、覚えているけど思い出せないこととか、覚えてないはずなのに思い出されることとかがある。ついぞ思い出してなかったような記憶は、いつも五感によってフィジカルに賦活する。

 ものを修飾するときの比喩やワーディングに「!!!」って惹かれた。

 

③ペンタクル・サークル

 なるべくコンシャスであろうとすることは、前までの「愉快なまあくん」から気難しくて屁理屈をよく言う人になることかもしらん、って思ったことがある。「初めて雑談してるね!」って驚かれたり、「そういう話やめよう」と言われて急いでやめたり、わりといっぱいしてきた。

 それから、選挙活動のビラを候補者たちと配ってたとき。「〇〇党なんていらねえよ」と怒鳴られたことがあったり、他の人は中指を立てられてりしてた。政治家へのテロとか嫌がらせが続いてた時期だったから、比喩じゃなく殺される気がしてた。それから、いわゆるスマートでオシャレな若者がクールに一瞥もせずに去るのが印象的だった。

 この前友達が「マッチョイズムに溢れてる人は、自分のジェンダーやふるまいを考えざるを得ないという経験がない人だと思う」って言ってた。デフォルトマン。

 

④読書メモ「五人の男」はなぜこの順番で並んでいるのか

 その本は、各章の内容も形式も筆致(どこまでが随想でフィクションなのかといった書き手と記述との関係や、「私」と文章との関係)もわりとばらばらなものだった。だけん、雑駁に見えても雑駁じゃないんだと思った。「家族的類似性」!膝を打つ。

 小説だったら短編集、アルバムだったらコンピレーション、DJだったらミックスやプレイ、展示だったらキュレーション、論文だったら学会誌。それぞれ類似性のありようが違うと思うけん、こういう〇〇集というのは、なんとも言えない相互作用を起こすからめっちゃ萌えるなって思う。それは、この本(庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五)も。

 それから、作品間で生じるゲシュタルトだけじゃなくて、作品内で生まれるそれも面白いなと思う。コラージュやコピーペーストやカットアップを用いて何かを作ること。フォールドイン(カットアップの単位がデカいバージョンによる執筆)をすると、その人の無意識が浮かび上がってくると読んだことがある。

 個のなかで、あるいは個と個の間で、もわって似てる感じがすること。それは超面白いことだと思う。

  

⑤五人と鳥

 それぞれが色々に叫んだり話したり鳴いたりする。その声で以てその対象を同定(アイデンティファイ)することって、難しいことだなと思う。人はわりと、声の内容やそれに基づくカテゴライズでその対象を基礎づけて、意味づけるから。でも、文字や意味以上に(あるいはその前に)、声それ自体でその存在に触れることも大切だって思った。

 デジタルな(「オンライン上の」という意味に限らず、ゼロイチの離散変数で他者や関係性を捉えるような)コミュニケーションが横溢してるなかで、そうじゃないものを尊びたいなって気持ちになった。声で存在を感じること。

 

⑥月の壜

 区切れから続きへの流れが個人的に好きな句たちだった。変にダイナミックでも変にウェットでもないニュアンスを感じて、惹かれる。修辞が目的化してないことが詩的であることだとなんだか思う。

 連作が5つあって、それにこの題が付けられている。各連作あるいは連作の中の一句一句はバラバラに作られたものかもしれないしそうじゃないかもしれない。じゃけん、こうしてそれぞれが連なってると、先に読んだものの印象を携えて次を目に映じる。その効果というのは面白いなあって思う。

 

⑦Profiles

 「プロファイル」っていう言葉でイメージするのは、その人を情報へと還元(reduction)したもの、人をカタログにしたもの。でも、ここで描かれている者たちは、平面的ではなく、フラットに表されている存在のような印象を受けた。何かを奥行きをもった上でプロファイルしてこそ、却ってフラットにまなざせるのかもしれないって感じた。画の全てが写実的な人物画じゃないところや、それぞれの文体の異なり方にそう感じたのかもしれない。

 人を立体化して捉えるには、ニュアンスこそが本体だと思うことだと思った。

 

⑧男達と別れーからかいの男性性ー

 色んなエピソードやそれに対する感情が、具体的でありつつ、どこかコラージュのように綴られている。「ロジカルで冷静な心持ちで書かれてるエッセイ/論考」というより、「抱えきれない出来事をなんとか言葉で抱えるための日記」という印象を受ける。嵩(大量さ)を感じる。

 各章は混乱で結ばれていて、全体は自身が生き直せることを望むような文章で締められている。各センテンスや段落や章はスムーズにつながっているわけではないということ、そして、全体的にはそんな構成になっていること。それが特徴的に感じた。

 

⑨動物園日誌

 人がそれぞれの語りに含んでいるマチズモの濃淡や、その質的な違いについて考えさせられた。「身体化された制度」と「制度化された身体」とを反復して、語りのニュアンスは生成されるんだと思った。

 劣等感に裏打ちされたイキリで誰かとつながることが一人前になるための通過儀礼、みたいな空間は嫌。と読みながら何だか思った。

 

⑩うつわ日記

 フェイクドキュメンタリーのようなものかと思って読み始めたけん、真に迫る&ナチュラルな文章に、そういう穿ちを忘れてただ読んでた。実際どうだとしても。

 

<続きはまた書く>

 

☆.言葉を失う

 漫画もアニメーションもドラマも小説も映画もゲームもコントも落語も漫才も、全然摂取?せずに生きてきた。「庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五」を読んで即興的に、20年ぶりにお話を書いた。『言葉を失う』

 

1

 「ボーボ?食べ物ですか?」「違います。亡くなった母の話をしています」。このとき、初めて毅然とした話し方で答えてみた。「ボーボっていう名前なんですか?もしかして君ってハーフだったの?」「本当にそう思うんですか」「は?」「ほんとごめん、なんでもないです」。なるべく間を空けて会話のペースを下げるよう心掛けた分、マサラティーを飲むスピードだけはどうしても上がった。

 その日の君は、お店に入ったときに“ナン”でダジャレを言ってた。そういう本当に細かな1つ1つに注意を注いで、気を引き締めて関わるべきだった。だなんて、くだらないかもしれない。時々こちらの冗談や他愛ない話に耳を貸していただけるときは決まって、「師匠がそういうの面白いって言ってた!いいね!」ってときだった。君の目が輝くのは、その人の造語を急に語り始めるときだった。いつ君と話せるのか来る日も来る日も待ってた。

 何回目かに会ったときに、「同じようなことで傷ついてきたから気が合うかもしれないですね」って言ってた。でも、同じように傷ついたのかわかんないし、同じように血肉化してるわけでもないじゃん。なんなんだろう。あ、ナンという音が含まれた言葉が頭に思い浮かんでしまった。他の言葉で考えよう。というか、なんで考えようとしてるんだろう。いや、ごめんなさいなんでもないんです。

 こうしてるうちに、自分の中の何かがあと3日くらいで爆ぜる気がする。

 

2

 7日経った。今朝、ハムを数年ぶりに食べた。加工肉は発がん性があるみたいなことをインターネットで見たもんで、ずっとやめてた。でも、そういうのはもういいかなって思う。じゃなきゃ、こんな人生が続く気がするし、そうして何かにとらわれて生きてるのって、あの人みたいじゃんね。

 という風に、今もこうしてとらわれてる。

 あの人と出会う一因になったり、あの人をああさせる一因になってたかもしれない全てを、煤払いしたくなってきている。先週まではわりと多くの人から「振り回されてるよあなた」って言われてた。なんか最近、その中の数人から「洗脳がちょっと解けてきてんじゃん」って言われる。いやいや、宗教じゃないんだから。

 ここ数日なぜかすごい量の散歩をしてる(あの人いつか散歩好きって言ってたかも、どうしよう)。行きと帰りは必ず違う道にしてて、今日の帰路では不意に大学に行きあたった。近くに大学あったなんて初めて知ったよ。こんなことが今は楽しいかも。

 再来週が学園祭って書いてある。とにかくダンスが観てみたいと思った。言葉じゃなくて身体的なもののほうが、人の毎日にコンマを打てるから。

 

3

 当日、ベリーダンスと、あとはジャズのビッグバンドを見た。それから、イカかタコの食べ物を食べたと思う。顎が痛くなった記憶だけあるから、多分そういう生き物を食べちゃったんだと思う。

 バスを待ってるとき、力んだ感じの学生が「コクトーの“美より速く走れ”っていう名言がさあ」って言ってた。「コクトウ?食べ物の?しかも、名言がどうこうなんて、若いなあ」。そう思った。

 その日からすごく走ってるよ。